子どものころからの呼び方そのままでいまだに「本屋さん」とさん付けで、特に何も考えたこともおかしいと思ったこともなかったのですが、ブログを書き始めてこうやって改めてタイトルに書いてみたとき、「あれ?いい大人が子どものお店屋さんごっこみたいで変かしら」と思いました。話す時にはさん付けなのは確か、でも文字にするとき、文章やメール等では「本屋さん」とは書かずに「書店」と書いていると思うから、そんなことが気になりました。

友人知人との会話でもさん付けで話してたっけ??身内との会話では「本屋さん」と言っていますね。八百屋さんとか魚屋さんもだわ・・・

でも、世間でも「本屋さん大賞」ってのがあるし、おかしなことではないのかも。

昨日食事が終わったあと主人が「このあと本屋に寄りたいんだけど」と言って私が大喜びしたときの会話を思い出してみると主人は「本屋」と呼び捨て(?人の名前じゃないからこの言い方も変?)にしていますね。

ということで、ようやく本題です(笑)
主人に寄り道したいけどいい?と言われた場所が本屋さんだと、良いも何も、毎日でも行きたい場所です。昔から大好きな場所で外で友達と待ち合わせするときは飲食店じゃない場合はほぼ本屋さん。相手が遅れても全く気にならず飽きずに店内をうろついていられるし、念のため余裕をもって早く行っておこうとこちらが思った場合もう~んと早くに着いてしまってもいくらでも時間がつぶせる場所なので。

新宿だったらアルタとか渋谷だったらハチ公とか、定番の待ち合わせ場所(いつの時代だ?って10~20代のころのこと。今の若い人たちはスマホ持ってるからそもそもそういう待ち合わせってもうしないよね??)も私はそこで待ったことってほとんどなしです。座ってお茶しながら待てる場所以外だったらできる限り本屋さん指定でしたので。大きな駅の巨大書店だと一応何階のレジ横で、とか決めてはいましたが、時間になって行ってみて相手がいないとまた本を見るためふらふら別の場所へ行って、そこで時間忘れてついつい・・なんてことも数知れずでしたけど。それとこれから出かけるというのに着いて早々本という荷物が増えてしまうことも毎回で困りものでしたが・・

新宿や渋谷など巨大駅じゃない小さな駅でも必ず駅前には本屋さんが1件ならず2件も3件もあったりして待ち合わせに困ることってありませんでしたが、そういう小さな駅前からどんどん本屋さんが消えて寂しい限りです。

カルチャーセンターで働いていた時、電車通勤で家の最寄駅に着くと改札を出てすぐの本屋さんに必ず寄っていました。早く帰って夕食の支度をしないといけないのに、必ず(笑)
その本屋さんも今はもうありません。

昨日は主人が買いたい本があるというので、私もミステリーの文庫本を選んでレジに行く主人に「これも!」と3冊どっさり(笑)じっくり選んでいる暇がなかったから裏表紙で話のタイプをざっと見てあとは帯の「なんたら大賞」「なんたら順位の何位」という文言とタイトルだけで直感で選びました。(話のタイプとしてはバイオレンス系以外がよい)

湖畔荘

本屋さんに行く機会も昔に比べたらもう全然行かないと言ってもいいほどに減ってしまいました。時々行くと、本の品ぞろえが少ないことに戸惑ってしまいます。今回も海外もののミステリーのところ、どれにしようか迷うほどにたくさんあって決められない・・なんてこともなく。今回は平積みしてあるものの中から選びましたが、目立つ場所に積まれる本にも限りがあるわけだし、昔からこのくらいだったんだろうな~と思いました。Amazonや楽天ブックスで時間を忘れてずーーーっとクリックし続けてレビューも読みながら、無限にあるかのような中から選ぶことに慣れてしまっているから、そう感じるんだろうなと思いました。