電車に乗ると、周りの人のほとんどはスマホに見入っているので、何もせずぽけーっと窓の外を眺めているだけの自分のほうが変人のような気がしてくるほど。

SNSで友人知人といろんなことを共有できたり、いつでもその場で写真が撮れたり、楽しかったり便利だったりすることのほうが多いのかもしれませんが、そこまで知らなくてもいいと思える生活が垣間見えたり、ずっと写真が残ったりとめんどくさそうなこともたくさんありそうだなと思ってしまいます。これは年のせいだろうなと思ってきましたが、、、

偶然にもこちらの本を読んだ直後、昨日のNHKの情報番組あさイチが子供の顔の整形についての話題で、やっぱりSNSが行き過ぎた世界は疲れそう💦と思いました。

男子が作った女子ランキング。あの子よりも、私は上だったーー。美醜のジャッジに心を弄られ、自意識が衝突しあう教室。そこではある少女に対し、卑劣な方法で「魂の殺人」がなされていた。のちに運命を束ねたかつての少女たちは、ひそかに自分たちの「裁き」を実行してゆく。その先に、果たして出口はあるのか。静かな祈りのような希望が滲むラストに、胸がうち震える。

内容紹介(出版社より)

小学校高学年からすでに始まる、まずは顔の美醜、そして明るい、強気など目立つ性格で決まる暗黙の了解の上下関係。それがずっと続く、いえいえ苛烈さを増していく思春期の中学高校生活。読んでいてぐったりするほどに疲れました( ;∀;)

スクールカーストとか一軍などという言葉、今の子たちはこのような言葉でランク付けしているんですね。昨日のあさイチの子供の整形についての特集で、ゲストの芸人さんたちも驚いていました。スタジオは司会者とゲスト全員40代50代で、自分たちの時代にもそりゃ、あったけどね、今の時代はここまで⁈といちいち驚いていましたが、私も同感、60代はもっと驚きでした。

少しでも可愛くきれいになるために、早い子では小学生から、高校生くらいになると多くの子がメイクの延長くらいの感覚で「整形する」と宣言し実行に移す。当の子供本人の声と、子供に整形すると言われた親の戸惑いも紹介されていました。

一重の目を二重にする、安全で簡単な埋没法程度なら全然かまわないと思います。
でもメスを入れる手術となると、まだ子供のうちは怖いかなぁ、、、という私の感覚はどの親御さんも同じでした。ゲストの美容形成外科医のお医者様自身、自分の娘たちがするのは反対だと、、、

自分の子供は世界で1番可愛いですもんね、「そのままで可愛いんだから顔を変えてほしくない」という親御さんたちの意見はよくわかります。でも、子供本人の気持ちは全然違う。親以外の人からの外見評価のほうがずっと大事だというのはわかりますが、自分の子供の顔がガラッと変わってしまうのはやはり抵抗感あるでしょう。でも、そんな感覚も今の40代くらいまでなんでしょうか、今美容整形を抵抗感なくしている世代が親になるころにはそれが当たり前の世界になる?

二重なのに、その二重が理想じゃない、今の流行りじゃないので整形する、という子。二重にしたけれど、今度は鼻もエラも、気になるところはまだあるからそこは全部したい、という子。SNSで見る可愛い人たちを参考に、より可愛くなりたいと願望が膨れ上がって行く様子。整形する前の写真は少ないけど、整形後は写真もたくさんあると見せてくれるスマホ。今の子たちは友達も一緒にいくらでも撮れて残っていくから、出来る限り可愛くありたいと思う気持ちも強くなっていくということでしょうか。

今の子たちは整形は隠すようなことじゃないようなのも驚き。整形して可愛くなったら1軍の子たちから「可愛くなった」と言われて仲間に入れてもらえて友達増えたとか、なんだかすごい世界です。

先日ジムの帰りの電車、途中女子高生が数人乗ってきて向いに座ったのですが、彼女たちがカラコンとビッシリのつけまつ毛で素顔が想像できないような顔だったことに一瞬ギョッとなったんですが、そんな、たかがメイクで驚いてちゃついていけない世界になってますね。

思春期の、自分や友人たちの外見に1番敏感な時期に写真撮ったり撮られたりの日々、美しい芸能人、華やかな有名人、同年代の素人でも可愛い子たちの写真や生活を簡単に垣間見られること、いろんなことが気になり過ぎるのもわかります。昭和の時代の中高生は、日常的にカメラを持ち歩いている人なんていなかったし、親友とだって一緒に写真撮るなんて機会はほとんどなく、クラスみんなの写真なんて進級の時の1人1人は小さいクラス写真くらい。(撮影日欠席だと別枠の円形の中で目立ったけど笑)今のような便利さはないけど、精神的には楽でしたね。