来年用の年賀状の用意ができたので、あとは一言添えて出すだけ。
元旦に届くように年賀状を作成し続けて長いですが、ここ数年は「そろそろ年賀状じまい」をしたいと減らし続けてきています。

減らし方は、元旦に届かなかった人には次の年には出さない。
儀礼的に出していた人、付き合いの深い友人レベルではなく知人レベルの人が喪中欠礼はがきが届いて1年あいた場合、次の年は出さない。

この2つで数年減らし続けてきました。

そんなに積極的に減らす方法ではないので、一気には減ることはなかったですが、じりじりと少しずつ確実に減ってきて、20代~40代のころと比べたらものすごく減りました。すべてなくすことが目標ではあっても、今のこの枚数ならさほど負担ではない、というくらいにはなりました。

「元旦に届かなかった人には出さない」というのは、こちらの年賀状が届いてから出してくれた人に加えて、12月25日までに投函しなかった人も含まれるので、まだこちらに対して出してくれる気がある人にも翌年から出さないということになり、ここだけちょっとこちらから積極的にということになります。

でも、25日までに投函できなかったということは、年末ぎりぎりまで忙しいとか、やる気にならないとか、きっと年賀状を出すことに対してはもう消極的気分の人たちなんだろうなと思うことにして、「助かった」と思ってくれていると考えるようにしています。

「年賀状じまい」の年賀状をくれた人たちも数人いて、「助かった」と私も思いましたから。

年賀状じまいの年賀状をいただいたとき、「うちもそろそろこういうのを出そうかな」と思ったんですが、なんだか文面も難しいし、こちらからというのが失礼な気もしてなかなか思い切れないんですよね(^^;

でも、自分がもらっても「失礼な!」とか「薄情な!」なんて全く思わないし、それどころか「助かった」とありがたく思うわけなので、出してもぜんぜんかまわないんだと思いますが、、、

本来の年賀状の目的に合っている友人知人とは、LINEやメール、電話番号、すべて知っていて日頃から連絡を取れています。

そういったLINEやメールや電話をしない人たち。年賀状のやり取りで住所と電話番号は知っている、人によってはメルアドも知っている。知ってはいるけれど日頃連絡を取り合っているわけではない。住所を知ってはいてもお互いの家を行き来することなどはきっと一生ない。でも「一応消息は知っておきたい」と思える人たち。

わずかに残った年賀状は、この先実際会うことはたぶんないだろうと思える交友関係ですから、お互いの安否確認になっていくんだろうなと思うと寂しいですが。今のところは「孫を毎日預かってその世話にひ~ひ~言っています」とか「定年退職して毎日が日曜日、子供の時夢中だった習い事を再開しました」みたいな楽しい内容に安心する年賀状となっています。60代はシニアの中でもまだ若いですから、しばらくはそういった元気な年賀状で1年に1回、近況報告を楽しませてもらえそうです。