私の娘と妹の息子は、私たちの母、おばあちゃんが大好きです。
私の場合は、1年の産後休暇のあと、母に娘を預かってもらってCAの仕事に復帰しました。
妹は甥を産んだあと半年で、同じく母に預かってもらい仕事に復帰したんだったと思います。
CAの仕事は数日家を空けますから、時間関係なく娘の面倒を見てもらえたおかげで、その後数年間企業で正社員として仕事を続けられたわけだし、
妹の場合は生後半年の時点で新しく始まった元の仕事に関連した事業に最初から関わることができ、その後その仕事を土台に仕事が広がって50代まで続けることができたわけなので、
その点では2人とも母に感謝です。
私たちの時の子育て「怒りと脅しの子育て」(⇔私と妹でこうネーミングしております)ではなく、娘と甥には「面倒見よく、美味しい食事を作ってくれる優しいおばあちゃんの子育て」でした。
娘の場合は、当時母が近所の人たちとやっていた生協の共同購入に、まだ小さいときから配布日に一緒に連れていってもらい、大勢の大人のおしゃべりの輪の中に入れてもらって、娘もそれが楽しそうでした。言葉が早かったので、大人が使うような敬語でのやり取りをたくさん覚えてきて笑わせてくれました。
当時実家で飼っていたシェルティの散歩は、早朝も夕方もしょっちゅう一緒に行っていました。犬はおりこうで手がかからないけれど、娘が1~2歳の時は犬よりずっと手がかかって大変だったと思います。
お買い物で銀座まで連れて行ってもらったこともありました。そんな小さな子連れでも行くというのがすごいですが、母の出好きが良いほうに転んでいましたね。
甥は小さいころからすごくよく食べる食いしん坊でしたが、おあばちゃんの家では手作りのおやつなど、いろんなものを作ってもらっていましたね。こだわりの強い甥は、自分が気に入るとゴミと思えるものでもおもちゃにして遊んでいましたが、そういうものが散らかるのを気にしない、自身も散らかし魔の母は、甥の散らかすまま好きに遊ばせていました。妹がそういうものをゴミだと捨てようしたとき「ダメー!それは甥くんの大事なモノなの!これじゃないとダメなの!」と慌てて取り上げたり。
娘も甥も食事やおやつだけでなく、幼稚園のお弁当も作ってもらっていました。1番忙しく大変な時期にお世話になったという気持ちは大きいですし、そのころのことは懐かしい思い出です。
それでも、私と妹に対しては、まだ50代~60代で元気だった母なので昔から変わらずの態度をとることも多々あり、感謝する気持ちはあっても、同時に「やろうと思えばああいう子育てもできるんじゃないの」なんて悪口も言っていました。
ただ、ヒステリーを起こして自分の言うことを聞かせる脅しは通用しなくなりました。それが始まると私たちはサッサと自分の家に帰りましたから。可愛い孫も一緒に連れ帰っちゃいますしね。
まぁ、孫の前では当然のことながらヒステリーを起こしたことなど1度もなかったんですが。
私と妹が母の悪口を言うと、おばあちゃん大好きな娘と甥はとても嫌がります。
女の娘の場合は、私と妹のちょっとした態度が気になるようで
「ママとrika(妹)ちゃんっておばあちゃまにいじわるだよね」と言われています💦
女の観る目は鋭いね(^^;
男の甥の場合は、娘ほど敏感に気づきはしないようですが、妹が母の悪口を言うととても困った顔をするそうです。
なので、妹と私は一応は子どもたちの前で母のことを悪く言わないように気をつけてはいます。
認知症となった親の面倒をみるとき、認知症なんだとわかってはいても、あまりに訳の分からない言動にイラついてついついひどい態度で接してしまい、そんな自分の態度をあとから後悔して悩む、これ、認知症の親と接する人たちのよく聞く話です。あまりにもよく聞く話。
妹と2人で「私たちはあとから悩むというその後悔、他の人たちよりうんと少ないかも」なんて言っているんです。でも、そんなのも娘には速攻見抜かれて「冷たい」と言われてしまいそうだけど。私と妹の2人で語り始めたら止まらない幼少期思春期の辛い思い出、思い出すと還暦過ぎた今でも苦しくなるようなことがたくさんあるのよ。
認知症では、わがままで意固地、怒りっぽくなる、攻撃的になりキツイ物言いで周囲の人にあたると言われていますが、母の症状が進んでも「あら、昔からのよく見てきたお母さんだわ」と思ってあまり動じないかもよ?なんて、妹と冗談半分で言っていたところ、まさにそんな事態発生。もう大騒ぎでしたよ。
認知症初期の親を持った家庭ではよくある事態なのでしょうか。母の場合、認知症が進んでのことなのか判断がつかず、病院に電話して聞いたりと、妹と2人で疲れ果てました。長くなるので続きます。