昨日は親友がうちに遊びに来て、12日ということで自然日航123便の事故の話になりました。
あれから40年。
2人とも当時のことは昨日のことのように思い出せるので、あれから40年という長い年月がたったということが、信じられない思いと話しました。
事故当時、123便が羽田を発ったころ、私は旅行から新幹線に乗って東京に戻る途中でした。家に着いたら妹が、テレビにかじりついている最中。普段とは違う物々しいテレビのニュースの画面を指さして「大変なことが起こったの!飛行機が墜落しちゃったのよ!!」と言うのに、どういうことかと、とっさに事の重大性が実感できず、立ち尽くしてテレビをながめたのをよく覚えています。新幹線、私鉄と乗り継いで家に到着するまで、そんな重大なことも知らずにいるのも当たり前だった当時。
親友も私も事故の翌日は乗務でした。
繁忙期の8月夏休み、連日ほとんどの便が満席だったのが、翌日のフライトはガラガラだったこと。
搭乗してきたお客様から「この飛行機は大丈夫?」と不安そうに聞かれたことなど、2人とも同じ経験をしています。
当時はテレビ、新聞、週刊誌など、報道は今からは考えられないほどの加熱ぶりで、映像でも記事でも事故の状況や亡くなられた方々、遺族の方々のことが報じられていました。出社すれば当然重苦しい雰囲気、フライトの合間の休みには葬儀にも参列したり、信じられない思いでの日々を過ごしました。それが落ち着くこともなく、その後は先輩、後輩、羽田でグランドスタッフとして地上研修中だったパーサー、などなどを通して、報道されていない、表に出ることはない内輪どうしでの情報も山のように入ってきました。
個人情報の扱いも違うし、今だったらあそこまで加熱した報道はないかと思います。そのかわり誰もがスマホを持ち、SNSで情報発信できる今の時代だったら、当時とは全く違った形で、様々に情報が入り乱れ飛び交ったたんじゃないかと2人で話しました。
あれから40年、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。