スマホに上がってくるニュースで阪神淡路大震災関連のものを読み、毎年のことですがあれからもう何年、と改めて思います。東日本大震災もそうです。阪神淡路大震災はあれから29年。今朝読んだのは、震災でお子さん2人に先立たれてしまった私と同年代の女性で、その方が被災時の後遺症と闘いながらもがんばって生きて来たけれど、病気で亡くなったとの記事。それを80代のお母様が語られていて、すべて同年代の娘、私、母と重ねて気持ちが沈みました。

29年前の今日、私はロサンゼルスから関西国際空港への飛行機の中で仕事していました。
成田ではなく、たまたま関空行のフライトでした。

当時はまだジャンボ機が主流で2階席があり、私は2階席の担当だったのでコックピットケアという、キャプテンとコパイさんに飲み物や食事などを持って行くことも担当でした。客室の食事サービスがひと段落した後にコックピットに入ると、キャプテンが「大阪で地震があったようだ。どの程度かがわからなくて今まだ聞いているところ」と。

関空行なのでお客様の多くは関西の方々。チーフパーサーに報告し、キャプテンとも相談してどの程度の状況か確認してから一応アナウンスすることになりましたが、当時は詳しい状況は入ってこないまま。とりあえず関空には着陸できるとのことだったので、あそこまで酷い状況とはわからないままに到着しました。空港には無事着陸できたわけだし、機内のお客様もあのような事態は想像していなかったと思います。その後それぞれ自宅に帰られる道中も、帰ってからも大変な思いをされた方が多かったことと思います。

今だったら機内のお客様全員スマホを持っているでしょうから、仕事中の乗務員よりもお客様のほうが情報をどんどん取り入れられる時代ですよね。30年近い時の流れを感じます。

今年は能登半島地震の被害状況がまだ伝え続けられている中。
できることは義援金、わずかであってもお金が1番と思っています。
東京でもここ数日すごく寒い。このような中での避難生活で体調を崩される方も多いことと思います。1日でも早く通常の生活に戻れるよう祈るばかりです。