小説の世界でも暴力は怖いですが、ヤクザの世界となれば自分には縁のない世界で完全なるフィクションとして読んでいられますが、もう1冊読んだのが家庭内DVがテーマ。こちらのほうがむしろ身近で怖いです。

佐野広実さんの夫のDVから逃げてシェルターとしてのシェアハウスで暮す女性たちを主人公としたミステリーです。タイトルの「シャドウワーク」の意味は物語の中盤でわかります。「シャドウワーク」の意味がわかると同時に「そういうことか」とミステリーとしてのオチもわかります。

体力も体格も女性より上である男性から暴力をふるわれることは想像しただけでも恐ろしいです。1発殴られただけで速攻逃げ出すようなことだと思いますが、「自分が至らないから夫が怒ったのだ」と、自分に非があるように洗脳されていって逃げることを放棄してしまう精神状態に追い詰められる、小説ではこの心理が描かれますが現実でもそういう例が多いのでしょう。

ドメスティックバイオレンスやモラハラなど、今はそれがどういうものかだいぶ認知されてきましたが、ひと昔前はそのような言葉もなく、亭主関白のちょっと酷いのくらいの認識だったんじゃないかと思います。

私が大学生の時、父が大阪に単身赴任していた時期がありました。
夏休みに父のマンションに泊って大阪在住の友達と大阪近辺の観光をした時のことです。
父の住むマンションの隣の部屋から逃げて来たDV被害の女性をかくまった経験があります。

その日の夜、父は仕事で私は部屋に1人でいたのですが、壁ごしに隣の部屋から女性が泣きわめく声と男性の怒鳴る声が聞こえてきて「すごい喧嘩してるなー」と最初は「近所迷惑な隣人だなぁ」くらいの感覚。でもどんどんエスカレートしてきて椅子か何か倒れる音とか壁にどんどんぶつかる音がしてきて女性のわめき声もすごい。ドアのバターンという音やドタバタしている音が聞こえたので玄関のドアスコープから外を伺うと今まさに覗いているドアスコープの向こうに女性の顔が(@_@)

チャイムを連打されて「すみません、すみません、隣のものです、開けてください」というので速攻ドアを開けて中に入れました。

すぐに閉めてまたドアスコープから外を見ていたら、バスローブ姿の中年男性が隣から出て来てきょろきょろしていました。でも外見は本当に普通の中年男性でした。狂暴そうとか人相が悪いとかそういうことはなくごくごく普通。

女性は40歳くらい。殴られたということで目の上が切れて血が出ていました。
私はとにかく仰天してしまい救急箱を持ってきて応急処置をしながら女性に警察や病院へという話をしましたが、女性は「それは困る」の一点張り。電話を貸してくれと言われそのあと電話で身内か?女友達か?にかけて泣きながら1時間ほども話し込んでいました。見知らぬうんと年上の女性が泣きながら長々電話する父不在の部屋に一緒に1時間以上もいたんですよね( ;∀;)「もうあの人とはダメかもしれない」とかそんなことを延々と訴えていました。

結局その電話で話していた相手が迎えに来てその女性は帰って行ったんですが、そのあと帰ってきた父に今隣の人がこういう事情で来ていたのだと話すと「時々男女が喧嘩しているような声は聞こえてたけど、そんなことが?!」とさすがにビックリしていました。

私が父のマンションにいたのは1週間ほどでしたし、父の大阪赴任も2年ほどだったのでその後その女性がどうしたのかはわかりません。
もう40年以上も前のことですが、彼女はドメスティックバイオレンスの被害者だったのだなとその言葉が世間に知られるようになってきたとき思いました。

隣とはいえ、見も知らぬ人の家へ殴られた時点で逃げ込んだり、さらに身内か女友達に相談して迎えに来てもらっていたわけですので、誰にも言えず回りに理解してもらえず1人で耐え続けている被害女性や、洗脳されて自分が悪いからと思い込んでいる女性と比べれば、彼女の場合は騒いで周りにDV男のことを知らせまくっていたのでまだよかったのだと思います。が、当時はこの程度で警察に駆け込んでも痴話喧嘩程度にしか理解してもらえなかった可能性大だったんだろうと思います。

19歳だった私にはかなり衝撃的な出来事でした。

その後、私がDVについて詳しい描写を読むこととなった小説が渡辺容子さんの「薔薇恋」です。2001年の本です。Amazonのレビューを見ると「本当にこのようなことがあるのか私にはわからない世界。物語だからか?」といったことを書いている人もいるように、ようやく認知され始めたころだったんだと思います。読んだ本の内容は片っ端から忘れる今日このごろの私ですが、これはけっこう覚えています。夫はDVだけでなくモラハラでもあり、読んだ当時はDVについては多少の知識はあれど、さすがにモラハラについてはまだまだ何も知識がなかった時でしたので衝撃度が大きかったのだと思います。