娘が子どものころは洋裁に夢中だった、なんて言うとハンドメイドが大好きで子どものころから手先が器用でそういうことがずっと大好きだったのだろうと思われがちですが、(洋裁はやれば楽しい
そんなことはまったくありません。

手先は器用な方だと思いますが、子どものころ何かを作るのが好き、得意だったということもなく、家庭科以外でも、図画工作の科目では図画は好きで得意でしたがハンドメイドの要素が強い工作はまるで苦手、ダメでしたし、嫌いでした。

私の時代って、小学校で家庭科の科目が加わったのって4年生くらいからでしたっけ??
そんなことも覚えていないくらい、小学生の時、家庭科という科目にはまったく興味が持てずやる気もなし。唯一覚えているのがゆで卵を作った時くらい。
黄味が真ん中にくるように茹でながら菜箸で転がし続けるよう先生に言われてやったのをよく覚えています。
なんで覚えているかといえば、「そんな~~茹でてる間中転がしてなきゃいけないの?!黄味が偏ったって別にいいじゃん!」と心の中で思いながらやったからです。

そんなずぼらな子どもだったので中学生になってさらにミシンを使った洋裁が加わったらもうそれは悲惨でした。
興味が持てないんですからパジャマの上下なんて作らされて苦行でした。
先生の説明もろくに聞かずにやっちゃうもんで、型紙通りに布を裁断してそれぞれのパーツになってしまうと向きを逆に縫い付けたり見返しを裏返しにつけたり滅茶苦茶。

さすがに酷い出来なので家に持って帰って母にやり直してもらっていました。はい、ずるしていました。
母はそりゃ~大変だったと思います。
私の次には私以上に、私など足元にも及ばないほどの酷い出来のものを持ち帰る妹が控えていたのですから(笑)
人のことは笑えない当時の酷い出来の私でも妹のことは笑っていました。それほどに妹は酷かったのです。

私の時にはなんとかやり直してくれていた母が妹には「まったく、なにこれ!あなた、もう学校では何もやってこないで。やってくるとほどくのが大変過ぎるわ。rioの比じゃないくらい酷い」と怒っていました。こんなことで怒られる妹って・・
それに一応学校の授業なのにわが子に何もするなと指示する母って・・・

ある日妹が家庭科の授業で作ってきたらしい雑巾がテーブルの上にぽいっと置いてあったんですが、その縫い目の凄まじさたるや・・・
私はもう見慣れていましたが、帰ってきた父がそれを目にして「ちょっとちょっと、これ見てごらん。酷くない??なにこれ?」とわざわざつまんで持ってきて私に見せて言うんですよ。
なにこれ?って雑巾以外の何でしょうw
「rika(妹)の家庭科の課題でしょ」と言ったら「え?!これでいいの?!これが完成なの??これを出すの??!!」(本人に言ってくれ)としつこく驚いていた顔、まだよく覚えています。父は普段目にする機会なかったですからね~

と、自分より数段酷い妹がいたせいで自分の酷さを棚に上げて笑っていた私に最大級のブーメランが・・・
娘が妹のDNAをそっくりそのまま受け継いでしまったことです。

いや~~~娘も酷かったんです。
ほんと、洋裁の出来の酷さったらものすごかったです。
裁断からして雑なので襟や見返しが左右対称じゃない、輪にして裁断しないといけないのに真ん中でちょん切れてる、縫っても裏側の下糸がとぐろを巻いている、縫い代が曲がっていて最後のほうはなくなっている・・etc
妹の作品を見ていますからデジャヴでした。

私も言いました、娘に。
「ねえ、なるべくゆっくり、できればやってるふりだけしててよ。ほどく作業がなければかなり楽だから。」って。

洋裁の話となると妹や娘のすごい話ばかり思い出してしまって話がどんどん逸れてしまいますが、当時の私だって酷い出来だったことは同じ、洋裁は不得意もなにも、興味も持てなかったですし、大嫌いでした。

そんな私が子どもができたら「かわいい洋服を作って着せてみたいな」と思えばそれなりにがんばったり、1回作ってみて満足したら興味を持ってほかのを作ってみたくなったり。そして小中学生のころのように興味もないのに無理やり作らされた時は酷い出来だったのに、自分で作りたいと思ってやればちゃんと説明だって読むし、読めばわかるし、裁断だって縫うのだって本人がやりたいと思ってやればそれなりに丁寧にちゃんとやるんですね、当たり前ですが。

どんなことだって本人が興味を持てやればそれなりになんとかなるものだと思ったことでした。そして大人になれば子どものころ苦手だったものでも好きで続ける根気があれば少しずつでも進歩してなんとかなるもんだと思います。

だから今夢中なバレエもちょっとずつでもバレエっぽくなっていったらいいなと思いながら楽しいと思える程度にがんばって続けています。