世間的には60代以降は「おばあさん」なんだとは思いますし、60代は孫がいることも多いので家庭での呼び名も「おばあさん」だとは思います。

でも私が子供時代よりはるかに人の見た目は若くなっていて、通っているジムはお互いの年齢を知り合う機会はあまりないですが、60代70代80代の方々は年齢を知ると「もっと若いと思った」とお世辞抜きに驚く人が多いです。たいてい思っていたのと一年代違う感じ。なのでジムに1歩足を踏み入れたらそこは年齢不詳の世界。

でもジムに通って運動している人だから見た目が若いというわけでもなく、今や世間のほとんどの人は年齢より若い見た目ではないかと思えます。

ここまでほとんどの人が「実年齢より若く見えている」ということは、もはやその年齢のイメージのほうが間違っているということだと思います。

今でも覚えているのが、20代のころ家でテレビを見ていた時、ニュースだったか?何かの番組で60歳の女性を老婆と言っていたこと。
なぜ覚えているかというと当時50歳くらいだった母が「嫌だわ~60歳で老婆なんて」と言ったのでw 60歳が見えてきていた時にだったのでもうすぐ自分は老婆か⁈とフクザツな思いになったのでしょう。

今の62歳の私、当時だったら世間では「老婆」と言われていたわけですね(^^;
自分も含めちゃいますが、60代の今の女性、世間的扱いは「おばあさん」でもさすがに見た目はまだ「老婆」ということはないと思いますよ。

ちなみに80代後半の母はあの時から40年近くたった今でも「おばあさんみたいに見えるから嫌だ」と杖をつくことに抵抗していたりもします。

見た目が「老婆」とまで言われることなかろうという思いではありますが、行動がダメ、「やはり私はおばあさん」、これじゃ老婆だと思うことが。

それは電車の中で文庫本を読めなくなってきたことです。
少し前までは本なしで電車に乗るなんてありえなかったのに、今ではあまり読めない。
読む気満々で文庫本は必ず持ち込み、乗り込んで座るなり読み始めるんですが、2~3ページでうつらうつら、、、

はっと気づくと背中を丸めて前かがみ、手から本が落ちそう。
気を取り直して読み始めるもまたもや1~2ページでうつらうつら、、、

ハッと気づいて、の繰り返し。いっそのこと一眠りしてしまえばいいところですが、そこまで遠くないのがジレンマ。ぐっすり寝てたら絶対乗り過ごします。だから本を読んでいようと思ったのに。

各駅停車の通勤通学時間帯を外れたすいている車内、ほぼ全員が座っていますが、若い人たちはスマホを見ている。みんな同じ姿勢。少数ですが本を読んでいる人もいる。でもスマホ見ながらとか本読みながらうつらうつらはしていません。

寝不足の日もあるかもですが、毎回寝不足なんてはずはないのに、読み始めると目がしょぼついて眠くなってくる、なぜ?( ;∀;) 昨日なんて、ジムに行く昼下がり、乗ってきたおじいさんが私の斜め向かいに座るなりカバンから取り出した本を読み始めたんですが、各駅停車の次の駅に着く前にうつらうつらしていました。私もそれまで同じような状態。向かい合わせで同じ行動をするおじいさんとおばあさんでした。

全然進まなくて同じ本を持ち歩いているのよ。もう持っていくのやめようかと思っています。

荷物が重いのがダメ。たとえ文庫本1冊分でも少ないほうがいい。いや、文庫本1冊分が重い。これもおばあさんになっゆえか、、、