バナナケーキ、フランスパンのフレンチトースト、アップルコンポート
3つをまとめて作りました。
バナナケーキは常時あるように作っていますけど、
フランスパンが余ったのと、りんごも買いすぎて(主人が)余っていたので
すごい量のおやつを作ることになってしまいました。
りんごのコンポートは日持ちするし、そのまま食べてもいいし、
次回バナナケーキを作るときにドライフルーツの代わりに入れても美味しいので
作っておくと便利です。

バナナケーキとフレンチトースト
アップルコンポート


娘が小さいころ、お菓子をいろいろ焼いたり作ったりした中で
行程の複雑なものや、後片付けが面倒な器具を使うものや、めずらしい&お高い食材を使うものなどを省いていって残ったものだけ作っています。
簡単にできるようなものしか作りません。

思えば私と妹の子ども時代は母の手作りのおやつが多かったなと思います。
私も妹も大好物だったのが揚げたてのドーナツ。
めちゃくちゃ美味しかった思い出です。
でも、自分は作ったことないですw(だっておやつに揚げ物なんて大変過ぎる)
私なんぞが作らなくても美味しいドーナツがいくらでもあるしと言い訳します。
子供時代に戦争を経験している母世代のように飢えた経験はないものの、私が子供の頃はまだまだそんなにふんだんにお菓子があるということはなかったです。

いえ、あることはありましたね、スーパーやデパートへ行けば今と同じようなチョコレート菓子もクッキーもキャンディーもケーキも焼き菓子もなんでもありましたけど、我が家にそんなにふんだんに常時市販のお菓子があるわけではなかったということです。

外のお店でケーキを食べるということも、私と妹にとってはけっこう特別なことでした。今でもはっきり覚えているのが、母がたま〜に連れて行ってくれた駅前にあった喫茶ルームもあるちょっとオシャレな洋菓子店。ケーキを頼むとショーケースに並んでいるケーキをオシャレなワゴンに乗せて席まで持ってきてくれてそこから選ぶんです。そのケーキも今ではめずらしくもないでしょうけど当時は子ども心に宝石のようにキレイ!と思ったような凝ったトッピングのものが多くて、昭和の子供にとってはすごくテンションの上がる外食でした。

頂き物のクッキー缶やカステラなんかも家にあると目がキラキラ🤩でしたね(笑)

小学校の遠足も数百円と金額制限された中からお友達と近所のスーパーへ行ってなるべくたくさんの種類のお菓子が買えるように頑張ったし。

でも、思い返してみると、中学生からは小学生時代とはかなり違ってきたように思います。マクドナルドも小学校高学年の時にはあったし、お菓子以外でも食環境が一気に進んだ感があります。高校生のころには学校帰りに友達と喫茶店に寄るのは普通でしたし、原宿でいろんな流行りのお店に寄ったりしていたのも高校生のころ。

私の記憶の中では、小学生までと中学以降でかなりな違いがあるんですが、
それはもしかしたら、親に連れて行ってもらわないといけない、自分では自由に買えない、子どもだったから?とも思えますけど。
母は今のように気安く手頃なお菓子は買えなかったと言っていますから、
その手頃というところでしょうか、贈答用にもなるようなお菓子と昭和の子どもが通った駄菓子屋に並んでいたお菓子との中間くらいのお菓子が昭和のあのころはあまりなかったということでしょうか。

それと、中学高校のころだってまだ、地方の銘菓は自分で行くか、お土産でいただくかしないと手に入らなかったものも多かったと思います。
今でも覚えている「もみじ饅頭事件」
私が高校生の時の話ですが、学校から帰ってきたら母が「広島のお土産にもみじ饅頭いただいたわよ!リビングにあるからどうぞ」と。
もみじ饅頭は前にも何度かお土産にいただいたことがあってみんな大好き、私も大好物でした。
大喜びでリビングに行って大きな箱を開けたら、からっぽ・・・
台所の母のところへ行って「箱、からっぽだけど??」と聞くと
「そんなバカな!さっきまで全部ちゃんとあったわよ!」

一足先に帰ってきた中学生の妹が一気食いしちゃったんですよね。
けっこう個数入っている大き目の箱だったのに、それを一人で全部!!
私はもちろん、母も父も1個も食べられなかったんです。

妹は母に「『箱にもみじ饅頭があるからどうぞ』って言われたから食べた」と言い張っていましたが、その後長らく実家ではことあるごとに「もみじ饅頭事件」と言われた妹でした。
こうやって57歳の今も言われています。

中学生なら昨日まで小学生だったようなもの、この食い意地はやっぱり小学校時代の私たち姉妹はお菓子に不自由していたってことでしょうね~